介護と育児のダブルケアをしているSakuです。

母とはどうも合わないなと常々、思っていました。介護が始まってなおさらです。

そんな状況の中で母との現状、どう向き合うかを考えてみた内容となります。

先日、母が入居している施設に夏物衣類を届けに行きました。

ちょうど昼食時間だったこともあり、あまり長話はしなかったんですが、別れ際に母が言った言葉が胸に引っかかって。

ちょっと話したいこともあるから、また別の機会に来て

Saku

この言葉を聞いた瞬間、「あ、きたな」と思いました。

恐らくですが、「施設を出たい」という話だと思うんです。

前に入居していた施設でも、何か月後かに同じような流れがあって、最終的には施設側から退去要請となった経験があるので。正直、「またか…」という気持ちです。

母の介護を始めてから、嫌というほど思い知らされたことがあります。

「人間の根本は変わらない」ということです。

母は「私はもう、何もできない」の1点張り。何を言っても、この姿勢が変わることはありません。

考えも生き方も母とは合わないんです。これまでどれだけ衝突してきたか、数えきれません。

介護を行うことになって、また母と関わることが増えましたが、やっぱり母と私は合わない。

この現実を受け入れるまでに、私もずいぶん時間がかかりました。最初は「親なんだから」「血がつながっているんだから」と思っていたけれど、そんなのは幻想でした。

母とは合わない。

この現実を受け入れた私は、自分なりのルールを決めました。

今後、母と接する際、特に何かの話があるときは、1対1で会わない。

そこに誰かにいてもらう。

理由は単純。そうしないと私の心が壊れるからです。

実家には父が退院から戻って生活しているんですが、やっと父なりの生活リズムができてきたところなんです。

でも、そこに気性の荒い母が戻ってきたら…。

想像するだけで恐ろしいです。父も私も、共倒れになってしまいます。

母が自分のことを自分でできるようになってくれれば話は別ですが、それは期待薄。

じゃあ私と一緒に住む?

無理です。絶対に無理。

私には私の生活があるし、何より母と一緒にいると息が詰まります。

母を見ていて、ハッとさせられることがありました。

長生きできる時代だからこそ、最後まで「自分で考えて生きる」ことって大切なんだなと。

母を見ていると、命はある。でも、その時間をどう過ごすかが見えていない。

だから常に、周りの人に「何かを与えてもらう」ことを求めてしまう。

「私の面倒を見て」「私のことを気にかけて」「私を大切にして」

気持ちはわかります。でも、そればかりだと周りは疲れてしまうんです。

実際、母の周りからは少しずつ人が離れていっています。

これを見ていて、私は心に決めました。

私は、最後まで「生きる目的」を持っていたい。

小さなことでもいいから、自分で決めて、自分で行動できる人でいたい。

母の姿は、私にとって反面教師でした。

母の介護を続けながら、私なりに辿り着いた答えがあります。

合わない親でも、支え続けることはできる。

でも、自分が壊れない程度に。自分らしいやり方で。

そのために必要な距離感は、しっかりと保つ。

そして何より、私自身が「生きる目的を持って生きる」ことを大切にしたい。

母から学んだ教訓を、私は自分の人生に活かしていきたいんです。

これって、親不孝でしょうか?

でも、私はこれが今のところはこれでいいと思っています。

お互いのために。

もし同じような状況で悩んでいる人がいたら、一人で抱え込まないでほしいです。

介護をしていても、合わない親とは距離を保っていい。

自分を守ることは、逃げることじゃない。

長く支え続けるために、絶対に必要なことなんです。

あなたも、あなたらしい介護の形を見つけてくださいね。

そんな私も、まだまだ手探り状態です。

親と合わないって思うのは、娘として冷たいですか?

冷たいなんて思いません。むしろ現実を受け入れることだと思います。合わないものは合わない。それを認めないと、介護なんて続けられないですから。

親の介護で自分を守るって、逃げているような気がしませんか?

逃げじゃないと思います。むしろ生き残るための戦略です。燃え尽きてしまったら、結局誰の役にも立てませんから。自分を守ることは、長く支え続けるために必要なことだと思います。

高齢の親に『生きる目的』を求めるのは酷じゃないですか?

大それた目的じゃなくていいんです。今日は何を食べようか、どんな服を着ようか、そんな小さなことでも「自分で決める」ことが大切だと思います。それが周りとの関係を良くする秘訣だと、母を見ていて痛感しました。

合わない親との介護、どこまで頑張ればいいのでしょうか?

璧である必要はないと思います。自分が続けられる範囲で、自分らしい方法で支える。それで十分だと思います。無理をして倒れてしまったら、元も子もありませんから。