介護と育児のダブルケアをしているSakuです。
高齢の父が、ついに運転免許を返納しました。高齢ドライバーの事故が社会問題になる中、安全のために必要な決断だと頭では分かっています。
でも、長年父の運転する車に乗せてもらってきた私としては、なんだか寂しい気持ちも…。
今回は父の免許返納までの流れと、その時に感じた複雑な心境をつづってみます。
安心半分、寂しさ半分
父の運転歴は50年以上!仕事でもプライベートでも車を運転し、まるで地図が頭に入っているみたいに、スムーズに目的地まで連れて行ってくれていました。
そんな運転好きの父も高齢となり、最近よく報道される高齢ドライバーの事故ニュースを見るたび、「いつか父も…」と心配していました。今回の転倒、入院、手術という一連の出来事を経て、父自身から「免許を返納しようと思う」という言葉があった時は、正直ホッとしました。
事故を起こしてからでは遅すぎる。その前に自分で決断してくれたことに感謝しています。
父のハンドルと共にあった思い出たち

父が社会人になってから運転し続けていたと考えると、その運転歴は半世紀を超えます。私が小さい頃から、どこへ行くにも父の運転する車でした。
週末の買い物、ちょっとした外出…色んな場面で、いつも父がハンドルを握っていました。
車の運転は父の日常であり、たぶん生きがいの一つだったんじゃないかな。
「もう運転はやめる」父の決断
去年の今頃は、まだ父は普通に運転していました。それが突然の転倒から入院、そして手術という事態に。
体力の衰えを本人も強く感じたみたいです。
入院をしている父から「免許を返納しようと思う」と切り出されました。
誰かに強く促されたわけじゃなく、自分の意思で決めたんです。長年親しんだ運転からの「卒業」は、父にとっても簡単じゃなかったはず…。
もう聞けない「イオン行くか、俺の運転で」
免許返納によって、事故の心配という大きな不安は消えました。安全は何より大切です。
それでも、寂しさを感じずにはいられません。もう、父が運転する助手席に乗ることはないんだなぁと。
「じゃあ今日は、イオン行くか。俺の運転で」って父の声も、もう聞けないんだなと思うと、なんだか寂しさが募ります。
父との週末ドライブの思い出

子供の頃、週末によく父に連れて行ってもらったのはイオンでした。
一緒にゲームセンターで遊んで、帰りにパン屋さんで好きなパンを買ってもらう。それが定番コースでした。
車の中での他愛ない会話、窓から流れる景色、そんな何気ない日常が、父の運転と一緒にあったことを今さらながら実感します。父の運転する車に乗せてもらった時間は、私にとってかけがえのない宝物です。
新しい時代の始まり
高齢者の免許返納は、本人も家族も安全のためにとても大切なこと。父の決断に安心する一方で、共に過ごしたドライブの思い出が遠くなることに寂しさも感じます。
免許返納は単なる手続きじゃなく、一つの時代の終わりと、家族の歴史の節目でもあるんだなと実感しました。これからは、違う形で父との時間を大切にしていきたいと思います。